様々な規定のある霊園使用ブログ:20年11月15日
家内がお子さんの長い休みを嫌う理由の一つは、
一日三度の食事の用意です。
食事の時間前になると、
お子さんたちは「今日はなに?」と
家内に献立を尋ねています。
フクロの味ではなく、
おフクロの味にこだわっている家内にしてみれば、
自業自得なのですが、
口で言う割には楽しんでいるように見えます。
外では14時になると
「今日は何を食べようか」と迷いますが、
それは主にオカズの選択です。
美味しいのはオカズであり、
ライスは味もそっけもありません。
ですからオカズが関心事になります。
ところで
オカズは連日同じものだと必ず飽きてきますよね。
どうしても日替わりが必要になります。
それが母親の重荷になるわけです。
美味しさには飽きがくるという宿命がありますが、
それを回避するために別の美味しさを求めるようになります。
甘いものの次は、辛いものといった食べ方です。
残り味を別の味で打ち消していこうとすると、
やがて味はだんだんに濃くなっていきます。
主食であるライスには味がありません。
だから、決して飽きずに連日食べられるのです。
オカズを食べたら次にライスを食べる…
ライスで味覚をぬぐうようにすれば、
次に食べるオカズが薄味であっても
十分に美味しく感じられます。
ライスは味のご破算をしてくれる役割を担っているんですね。
味がない状態に常に戻ることが、味覚を洗練するコツです。
食事に限らず、
日頃から面白いことばかり追い求めていると
気づかないうちに過激になっていき、
洗練された感性からはぐれていって、終いには中毒状態に…
感受性を磨くには
感じない状態を保つ努力が必要だと思います。