価格や環境と設備などを事前確認ブログ:14年06月04日
終戦直後、
俺たち一家は、谷中の3軒長屋で暮らしていた。
詳しく言えば、
お母さんと姉貴と俺の3人で、
お父さんは南方戦線からまだ戻っていなかった。
当時の朝食は、
どの家もたいてい芋粥だった。
お粥の部分は姉貴と俺が食べ、
お母さんはいつもサツマイモの部分を拾って食べていた。
まだ小さかった俺は、
お母さんはサツマイモが好きなのだと思っていた。
そして午後のご馳走は焼芋である。
外でチャンバラごっこをしていた俺は、
今まさに新撰組と切り結んでいる最中に、
「やきいもー」という焼芋屋の声がする。
そうなるともう新撰組もない。
俺はあわてて家に駆け込み、
無駄でも「焼芋買ってくれ!」とお母さんに頼むのであった。
サツマイモばかり食べている日々なのに、
なんでまた焼芋かと言えば、
俺たちが普段食べていたサツマイモは
「タイハク」とかいう水っぽいものなのだが、
焼芋屋の芋はホントに美味い「キントキ」だったのである。
そんなわけで、
姉貴と俺はたまに焼芋にありつけるのだが、
お母さんは決して焼芋を食べることはなかった。
いつも「焼芋は胸が焼ける」「今日は食欲不振」と言って、
焼芋にかぶりつく俺たちを見てただ笑っているだけであった。
しばらくすると、
お米もちゃんと配給になり、
食パンだって何時間も並べば買えるようになった。
やがて、お父さんも南方戦線から帰って来て
俺たちは長屋を引っ越し、サツマイモなど長屋時代の思い出は
遥か遠いものとなっていった。
姉貴と俺にお粥を食べさせようとして、
自分はサツマイモの部分を食べていたお母さん。
そのくせ、お金がないためか自分だけ焼芋を食べなかったお母さん。
お母さんは一体、サツマイモが好きだったのか嫌いだったのか…
今年の中秋の名月の日には、
お母さんの仏前に焼芋でも供えようかと俺は思う。